今回は、僕が大きな影響を受けた本の一つである『エッセンシャル思考*』の考え方について、特に「タフな決断の意義」、「トレードオフを直視する価値」というテーマに絞って書いていきたい。
*『Essentialism: The Disciplined Pursuit of Less』 by Greg McKeown
選択の重要性
選ぶことの重要性は、トレードオフが常に存在するからこそ際立つ。トレードオフがなければ選択の必要はないが、実際にはどんな決断にも必ず何かを犠牲にしなければならない瞬間がある。重要なのは、その選択の姿勢が「何を諦めるか(消極的)」ではなく、「何に全力を注ぐか(積極的)」であるべきだということだ。トレードオフを直視しながらの決断は、「何かを失う」ための単なる引き算ではなく、むしろ、「本質的に意義のあるプラス1」を選び取って足していくための、慎重で情熱的な足し算であるべきだ。
また、トレードオフを直視しながら決断するプロセス自体が、自分の価値観を深く理解するための重要な契機となる。自分自身についてでさえ、何もしないままでは知らないことが意外と多い。自分の価値観を知らないと、どんな方向にも流されがちになり、結果的に人生を他人に持っていかれるか、過去の自分の考えに惰性的に引きずられることになってしまいかねない。
僕の例を挙げたい。大学入学直後から僕は、司法試験と公認会計士のどちらの資格を取るかで悩んでいた。どちらの仕事にも興味があり、キャリアパスも魅力的だったが、同時にどちらも超難関試験であった。両方を選ぶわけにはいかない。日本の諺「二兎追うものは一兎も得ず」が脳裏をよぎるような感覚にとらわれるまま時間が流れていった。そろそろどちらを選ぶか決めないと、どちらの試験勉強にも追いつかなくなるという現実が迫っていた。そこで、自己分析を繰り返し、価値観をゼロから見つめた。
その末に僕が選んだのは、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、なんと「海外留学」だった。
困惑したあなたの感覚はもちろん正しい。ただ、今の僕は決断がこのような結果になったことについて(後付け的にではあるが)理解も、説明もできる。これは避けられないトレードオフに迫られて、決断を下すことを「強いられた」結果、辿り着いた答えだった。
「どちらも捨てがたい」といったタフな問いを前にして人はしばしば決断を先延ばしにしがちだが、その時は人生が停滞する。決断の先にこそ、人生を進める本質的な行動がある。当時の僕は外部からの強制された期限があったため、決断を避けることができず、痛みを伴うタフな問いについて答えを出さざるを得なかった。この経験は、自分を知り、トレードオフを直視して決断を下す勇気を持つことの重要性を認識させてくれる決定的な出来事だった。外部の締切のおかげで、真剣に自分の価値観を分析する機会を得た。
その結果、自分の「まだ知らない何か」を求める渇望に気づき、留学を決意した。決して「簡単に」ではなく、「悩み抜いて」下したこの決断は、その後の僕の人生を豊かにしてくれた。留学生活については今後少しずつ共有していくが、ここでは一言、留学していなかった自分の人生は今の自分には考えられないとだけ述べておきたい。(他にもたとえば、友人の中には大学卒業後の進路を決めるための就職活動の途中で、自分の価値観に徹底的に向き合った結果、歯医者になることを強く決意し、大学を退学して歯科大学に編入した者もいる。彼はこの決断を今でも誇りに思っている。)まさに「逢ひ見てののちの心にくらぶれば、昔はものを思はざりけり」という感じだ。
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トレードオフの概念
トレードオフとは、ある選択をすることで他の選択肢を犠牲にする必要があるという考え方だ。例えば、二つの異なるキャリアパスがあり、それぞれにメリットがある場合、一方を選ぶことで他方を諦めなければならない。このような選択の過程で、自分の価値観や優先順位を見極めることが重要になる。
和歌の解説
「逢ひ見てののちの心にくらぶれば、昔はものを思はざりけり」という和歌は、過去のことを振り返ると、それ以前の考えが未熟であったことに気づくという意味を持つ。
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